S さん
私には今年高校を卒業した18歳の、療育手帳A1の息子がいます。
自閉症、(最重度)知的障害、強度行動障害があり、過去二回てんかんの痙攣発作がありました。
「問題行動」が増え高校から登校禁止や放デイの利用も断られ、高2で入院、高3でも入院したり。
現在、他害や「問題行動」がさらに増えたりもあり、家庭で過ごすことができなくなり、久留米にあるグループホームに3/13から入所しました。
簡単に聞こえてしまうけど本当に色々ありました。
「入所」というと私にとっては、とても悲しい決断でしたが、こうならないためにどうしたらよかったのか、でもこうなっていくことの仕方なさ、あの時代ともっと向き合ってたらとか、「入所」が悪いことではないと思えるようになったいきさつなどをお話してみたいと思います。
少しでも役に立ったら幸いです。
①やってよかったこと ②やらなきゃよかったこと
③やっとかなければ! ④知っておきたかった事
少しですが、私の気持ちが伝えられたらなぁと思います。
まず、障害の程度、家族構成にもよりますが、必ず離れる時がきます。
その準備をどんな形であれ、明確にいくつかの想像、準備をしておくことです。
自分や子供の為にも早くに知っておきたかった、④の一つになります。
どうしていくか、何をしてあげられるか。
小学校のうちは慌てなくても目標を立てていくことが大事です。
そこに向けての舵取りが準備できます。
悩むより考える、です。
障害はそれぞれですが、親に何かあった時、その時にふさわしい施設があると思ったらまず間違いです。
自分(親)が元気なうちから見学に行き、相性を見たり、定期的に使用をしておくことです。
母親の身体の問題もあります。
私も去年子宮をとったりで回復に一か月かかったり、子供の状態も不安定だったり、見てくれる(預ける)所もなかったりで入院させたりもしました。
入院させるのもとてもかわいそうでした。
物理的にも精神的にも大変です。
何があっても自分(親)が見るしかないとずっと思っていたけど、無理な事、時も出てきてしまいます。
話の順序が変なので一旦、元に戻りますね。
保育園の年長からデイケア、小学校1年から放デイと二つ行っていました。
先輩ママからも「精神科とはずっと繋がっていかないといけないので、今繋がっている病院と離れない方が良いよ!」と教えて貰っていたのもあり、私は漠然と、卒業後はその時に利用していた生活介護やB型にいくしかないか、現状維持でいくしかないなぁ、でもそこには行ける!と思っていました。
他のデイに行くのも悪いと思い遠慮していました。
まずそれが失敗でした。
診察は残るけど、問題があればデイはバッサリ切られます。
うちの場合は、その時高2でしたが前振りなしに学校も放デイも切られました。
「学校で教員の対応ができないので、あと2週間休んでください。薬を増やしてください。」
「薬の量が変わったので、又2週間休んでください。」
「入院させないと登校させられません。修学旅行は連れて行きません。対応できる環境にできません」
の繰り返し、高3のスタートから話し合っていたけど始業式の日にラインが来て「来週も登校は控えてください」理由は職員の気持ちと体制が整わないこと、落ち着いて学習ができないことです、と。
その繰り返しで目の前で茶わんをたたき割るようなことをされつづけての2年間でした。
疎外されていくと身体は高校生、中身は2歳の子供の心というか、精神面が壊れていきました。
デイも学校が復活するまでダメになりました。
今まで関わってくれていた人たちの関係が切れてしまいました。
子供には、説明してもわからないし、困っていたら子供本人はもっと困っていき、「問題行動」が凄くなっていきました。
朝昼晩にも関係なくウロウロ外を歩きだし、いつもいく学校、デイに歩いていこうとし、私が止めても大好きなところ、楽しかったところ、思い出巡りをウロウロ歩いていくようになりました。
夏冬雨風関係なしです。
止めても無理です。
大好きなデイの先生にあいさつだけと本人が言いながら歩いていくと(周りをうろつくだけですが)、デイの方からストーカーの付きまといと言われたり。
散歩中(ウロウロ)知らない人への挨拶だけでも通報、道路で独り言が大きいのもあり大声を出せば通報、それが続くので止める私をひどく叩くようになり、元々叩いてはいたけど度合いがひどくなっていきました。
本人も家の中にはずっといられなくなり、散歩も一回に2時間から4時間になり、思い出巡りやどうしようもない衝動散歩が1日に何回もありました。
本人に悪気はないです。
私を困らせてやるとかもないんです。
本人はどんどん辛い時間になっていったんです。
何をしていいのか、どうして色んなことを止められるのか、不満だらけになっていきました。
私も本当にきつくなっていきました。
私の姉妹や親せきも友だちも手伝ってくれましたが、普通に過ごすということが親子でできなくなり、わからなくなりました。
24時間ずっと一緒です。
朝起きて夜寝る理由もわからなくなりました。
本当にきつい2年になりました。
また一旦元に戻ります。
あまり色々してこなかったので、簡単なことだけですが、まず
① やっで良かったこと
【日記】
簡単でも日記!
毎日が無理なら3日とか一週間のまとめや、何をしたりとか感想だけでも体調とかでもいいと思う。
療育の最初に言われた言葉で「この子たちの成長を月単位で見てはダメ、年スパンよ!」と言われたことをよく思い出します。
たまには行き詰まったり、掃除の途中に出てきてそれをみて、成長を年スパンで見れたり感じたり振り返れることがあったりします。
当時の喜んでいたことや、何かができたきっかけや、苦手になっている元を親が気づけたり思い出せたりします。
苦手な時期はどんな事があったりや苦手な月や曜日やアレルギーや身体の弱くなりやすい時期なども、はっと気づけたりがあったりです。
私の一つの失敗は小学生になり連絡帳になり、面倒くさくなりとびとびで抜けたり書かなくなったりしたことでした。
たまに嬉しい成長を感じた時にその前後の行動とかを書き込んでみたりはしとくと便利です。
【お風呂とかで50音】
100均のとかで十分だと思います。
恥ずかしながら、私が根気よく教えてたのは50音だけでした。
それだけでも応用がきく進歩はあったりでした。
それまでは物に名前があることや、会話の意味、話す、聞く、指差したところも見なくて。
例えばみかんの名前がある意味さえわかってなかったりでした。
保育園の年長の後半から単語が出てきたり、言葉を言おうとしたり、真似で続けて言おうとしたりが少しづつ出てきたりでした。
そこからは、子供たちそれぞれの吸収の仕方があるけど、3つくらいの指示を絵を見て文字を見て少しづつ伝わりやすくなったりでした。
指さしたところを見ることも少しだけですができるようになりました。
【iPhoneの音声検索】
自分の見たいアニメの名前を何回も発音しながらできたら見られるのが良かったみたいです。
ただ見せすぎは失敗でした。
【薬の練習】
いざという時飲めなかったので、小さいラムネとかで練習したり、デイにいる看護師さんにお願いしたり。
母親はいつも子供にとって、指示や嫌なことをいう役目しかないので、余計に嫌がるのでまかせるというところも大事!
人にまかせることが母親にとっても小さな一歩になりました。
【ママ友をつくる】
濃度はあるが、広がりがある。
結構大事でいろんな方法や知識、いろんな障害や思い、やらなきゃいけないことやそれぞれの思いがあること。
自分だけがきつい事や、してもらいたいことばかりになっている事に気づいたり、色んな方法やそれぞれの努力を知る。
そして人を信用することもできる。
子供も、お母さん同士話している姿を見ていると、人と話すということを、人とのやり取りの仕方伝え合うということを見て覚える時がある。
嫌な人との出会いや関係も勉強にもなる。
かといって、心のシャッターは下ろさず、勉強させてもらい続ける。
自分が他の人に嫌なことをしないようにとか、気が付けることができる。
本当に嫌な事をしてくる人は、無理をしない。
仲良く話せる人と、子供同士の関係で親同士話せて、配慮しあえて助かる時もある。
障害は違えど同じ気持ちで助け合ってこれた。
私自身、楽しみになった、本当に大事な存在だった。
子供に配慮することを伝えることが家でも出来ることが増える。
【問題行動の変換】→適応行動
(例)・ぐいっと引っ張る→ちょんちょんしようね、等
後に困ったなーとならない動作をして教える。
意外と本人も気を付けたり、数年たった時自分で失敗するとやり直してくる時もあり、思い出したり気を付けたりがお互いあります。
・ツバ→シャボン玉しよっか、とジェスチャーも一緒に。
・人への近づき→病院や一般の空間の時に距離感が分からないので、具体的に隣の人とは椅子1つ開けて座ろうね等
うちの場合は届かないディスタンス~が効いたり、行動で示したり置き換え作戦でけっこう助かってます。
1回伝えることは500回ワンクールと親は根気よくです。
上手くいく事、行かない事あるけど色々やらないよりはやった方がおすすめです。
【努力したことをほめる】
たまたま出来たことを褒めて、次のステップや褒められた嬉しさから次も頑張ることも大事だが、努力して出来たことや頑張ったところを褒めることを大事にした方が良いです。
これは後になっても大事になります。
・人と遊ぶ!と人で遊ぶ!を見落としていた。ここも気を付けないといけない。
【散髪の習慣】
男の子には特別に大事になる。日にちを決めていく等。
【女性を触らせない】
これは周りの協力が必要になる。
例えばスーパーで可愛いといって挨拶からハグしてくれる人がいる。
やっていいことと残ったままだと、見た目が大人になるとかなり困ったことになる!
ここまで、を作っておくとよいです。
私は相手にわかるように(伝わるように)してきたけど、もっと気をつけたかった所です。
【食べ物】
ファストフードの依存。
ここは専門的にも大事で栄養はもちろん、怒りっぽくなりました。
それですごく太りだしました。
② やらなきゃよかった事
【子供をたたいたり、大声で怒ること】
私は今、教えておかないと、と思い4年生まで怒るも叩くもひどくしていました。
子供自身が覚えてしまい誤学習となりました。
・嫌な時、気に入らないことがあれば叩けばいい。
・大声出せばいいと、思うように覚えて行動するようになってしまった。
私の大失敗であり、本当に申し訳ないことです。
【人目を気にする】
・キレイごとだけではやっていけない。でも子供の為とか言ったり思いながらよく振り返ると、実は人目や親のせいになることを恐れて怒っていた時があります。
・躾と自分の怒りを間違っていた。躾の時ほど、冷静と単発が大事だったと悔いていいます。
子供の言い分と癇癪と我儘を見逃していた。
自分がうるさいと思ったり面倒くさいで、子供のサインを見逃してきた。
伝えることで安心感に繋がる事、自分ではどうしようもなく困っている時、単なるわがままは×、等もっと向き合うべきだったかなと思います。
自分の都合の人生設計→自分が〇歳までは見れるけど~と子供の心と成長を見落としていました(無視しているという事)。
自分主体はダメ。
【夫婦喧嘩】
子供には分からんわ!と思って目の前や聞こえる所で言い合いをしていると、子供が両親2人がそばに居ることを嫌がる等になったり、少しの否定のしあいをするだけででもひやひやするようになった。
子供が小さい時から、父親から子供を取り上げていた。
パパが触ったりまかせてみるとろくなことがなかったり、危なっかしいのもあり面倒見させなかったり、触らせない状態を作っていたら、父親が父親として物理的にも(行動的にも)精神的にも育ってなかった現実。
これはやっとかなくてわ!のことです。
父親の療育です。
③ やっとかなければ!の事
これは一杯ありすぎるので、とりあえずの事から。
最初に行った準備の一つです。
将来というと漠然としすぎるけど大事です。
まだ未来なんてわからないと親もわからないけど、どんなことでも大事です。
子供の成長をみないと!や、伸びしろを信じていますが将来に向けての準備があります。
とりあえず学校やデイに提出する物だけすませて安心したりしていたのが、失敗の一つです。
日々の忙しさで気が付けないとこもあったり、どうにかなっていくと油断してました。
世の中絶対!はなかなかないけど、人には一生の終わりがあります。
当たり前ですが、親が先に、が順番です。
子供には少しでも健やかに安全に楽しく過ごせるための準備です。
どうしたい、どうさせたい、可能性を考えてどうしたら安心・安全に託して過ごしていけるか、行けるようになるかです。
1人暮らし、グループホーム、病院、兄弟等色々ありますが、その為には”ひも解く!”が大事です。
というか大事やった!です。
目標の為には逆算が必要だったと痛感してます。
目標と夢を間違えないようにするのが親の役目やったと思います。
子供の行動や状態に気を取られてばかりの日々ですが、親自身も”見える化”で自分の子供の状況把握や今後のプランを立て直す事、時期を一年単位等、時期を決めたり見直すのが大事やったと本当に思ってます。
うちは勝手な期待を本人や病院や施設にしてました。
・相談支援員さんを見極めるということ(言い方が正しいかわからないけど)、すごく大事です。
私のとこは、高2に代わってもらいました。
最初の人は、何か書類を1年に2回位しにくるだけの人と思ってました。
当時聞いたことがあります。
あなたの意味は、どう理解すればいいの?と。
すると”ケアマネみたいなもんです”と、当時の相談支援の人は言っていたので、まぁ、何か書類がある時だけ会う人と思っていたので、何の期待どころか、相談できる人とは考えたりもしなかったです。
困りごとを聞かれたら答える程度でした。
高2の時に、入院を急に学校と相談員にすすめられ断ったら、それまで新しく行きたいと思っていた放デイの話とかを全部”あなたのとこに紹介できるところはない”と、断られ、駐車場でサヨナラしてそのままでした。
”じゃあ仕方ないな~”くらいの関係性で、何の進展もなく、直接「夢のたね」に相談して、直接行動援護に来てもらったり、毎日現実に困っている相談をし、助けてもらったりでした。
そんな困ってるときに、私たち親子を心配してよく家や診察の日に病院まできてくれ、そっと手助けしてくれている”釘宮さん”という人が来てくれていました。
その時は知らずでしたが、後々相談支援員の仕事をしていると知りました。
初めて息子を見た時も、何のためらいもなく第一声本人に”かわいい~”と本人と会話して、私を介さずに話をしてくれたりしていたので、失礼ですが行動援護に来てくれてる一人と思っていました。
色々な事で動いてくれ、調べてくれ、家に来てくれ、数か月たって、相談支援の仕事をしている人と分かり、前の人と変わってもらいました。
子供の状態が酷い時はもちろん、安定している時も次の為の行動や情報をたくさんもらいました。
動きが取れない私の代わりに色んな所にも連絡や見学をしてくれたりでした。
”相談支援の人ってこんなに話したり相談してよいのか”と尋ねたら逆に驚かれるくらいでした。
本当に親身になってくれる人であり、事業所でした。
そして沢山の支援を広げてくれました。
訪問看護もとても助けになりました。
医療的な面がないと利用できないと思ってる人も多いと思います。
私も全く知らなかったです。
そこも相談員さんが先回りしてつなげてくれたのです。
私の所は、大分看護のさとうさん、ゆうこさんが来てくれました。
危ないのも伝えましたがそれでも来てくれ、かみついたりもありました。
それでも頑張ってくれました。
私の方がもう頼めないと、危ないと伝えても粘ってくれました。
何度もチャレンジしてくれて、入所しようと決めた時も、自分の時間を割いて遅くまで一緒に頑張ってくれ、その後も何度も電話や訪問で私を支えてくれました。
今も繋がってくれて、今後の色んな可能性に対しての対応や対策、私の身体のことを心配し、沢山の配慮をしてくれてます。
ちなみに”四ツ葉”には最初から行きたかったのですが、個人的に頼んでは失礼なので当時の相談支援員さんに聞くと”あそこはできる子ばかりやから、あなたのところはムリ!”と言われてたのもあり、まぁそうだわな、と思っていました。
四ツ葉は言えば受けてくれる”肝っ玉母さん”なのも分かっていたとこもあり、なかなかの問題児なのもあり頼めるレベルではありませんでした。
迷惑をかけたくない一心だったのですが、そうしてると問題行動がひどくなったりになっていました。
私がお世話になっているのを見て”うちくる?”・・・とあっけらかんと言ってくれたのが四ツ葉に通えたきっかけです。
四ツ葉に通える頃には、息子は行動や他の状態もボロボロで修正のきかない状態でした。
それでも四ツ葉は色んな対策を考え用意してくれました。
今でいう合理的配慮以上です。
おかげで私自身、また希望というか見通しや一日の流れのリズムをもって、また頑張ってみようと思ったりで通うことができました。
これがやっとかなければ!のもう一つ。
”近くにいるマザーテレサ!を見つける!!”です。
四ツ葉の理事である前に、私だけでなく色んな人に母親として、友達として話してくれる、わかろうとしてくれる人です。
とっても助けられました。
今一呼吸おける状況に導いてくれました。
私は入院や入所を手放すこと、悪いこと捨てること、可哀想と思っていました。
悪と思ってました。
でも、入院、入所、距離を置くことはいけない事でも悪いことでもない。
本人が今一番辛いんだから、本人に頭と身体の休憩をさせてあげるのが大事な時がある。
この先行き先がここしかない!とかではなく、たくさんの選択肢を持てるようにこっちから選べるくらいにしてあげなくっちゃね!と教えてくれました。
理事本人が凄く勉強をしてきた事を惜しみなく今も教えてくれたりもしたりです。
本当に色々一緒に考えたり、多方面から私と子供を助けてくれました。
他のお母さんも知っているというか、わかってると思うけど近くのマザーテレサの話です。
本当はここが一番話したいとこですが、又の時にします。
他にも沢山助けてくれた人も本当にいます。
足を引っ張る、陰でしてくる人もいますが、心がねじれてしまう時もあります。
でも良いとこだけ考えると心の支えになってくれる人もたくさんいることを私は励みにしてきました。
これからもです。
・やっとかなければ!のもう一つ。
人それぞれの相性もありますが、習い事です。
出来る範囲でいいと思うけど、私個人的には動物セラピーです。
これは本当に積極的にしとけばよかったと思っています。
呼吸を合わせるや距離感をとったり、慈しむ気持ち等色々思ってます。
借金してでもやらせたいとずっと思うとこでした。
日々の大変さでついついもう少しもう少しと逃したとこです。
④ 早くに知っておきたかった事
・かわいそうを間違ってはいけない。
子どものかわいそうと自分の心を満足させてることや、その時の状況にもよりますが沢山間違えてきました。
喜ぶと思う物を与えることや行動や見せる、させる等です。
・小さい時からの行動で、小さいからまだ私(母)が受け止めるしかない→それが行動障害と思わず、大きくなった時その行動も大きくなる→その行動が強度行動障害と気づくこと、なっていくこと。
小さいから受け止めれるが、大きくなると受け止めることができなくなっていく話です。
これはかみ砕いて言わないとうまく言えないので理事にあとで教えて貰うといいです(専門的に)
まずお母さんや先生にエンターテイナーになってもらう。
ダメではなく小さいうちに失敗させながらも大きな成功へ導く。
例として子供が苦手な事、悪行動になる前に、先に”上手になったかな~”や”あれ、上手になってるやーん”等先に褒めてみたりが効果あったりもする。(いろいろ試すなどです。)
色んな支援がある事、名目があっても利用できない現実、その為には知ることです。
色んな人と話してください。
何から伝えてよいか気持ちが先走り、まとまりがなくごめんなさい。
でも何か伝えたかったんだよーとは思っています。
泣いても笑っても同じ一生なら、泣きながらも笑い飛ばそう~!っと生きてきてますがへこむこともあります。
でも何度でも笑い飛ばしていきましょう!
「誰かへのラブレター」
死にたいなーと死んだら楽になれるかもと思ったことがあると思います。
どんな死に方ならできるかな?
どんな場所にしようかな~(死に場所)を考える。
どうやったらこの子と一緒に・・・と思う時があった(ここまで来ている人はもう一度周りを、人を見直してみて下さい)。
私が望んで産んで苦しめてるだけ、私の都合であっちこっちにしてしまってる。
生きていればいいことあるから、とそんな言葉よく言われてきました。
私たちにはどんなことがあるの?なんの光があるの?と。
この子が普通に生きていけるのか?っと心の中で繰り返してきた。
それでもイカンイカンと心の中で言い返してきた。
この子の先を私の勝手で奪ってよいのか、でも何かこの先この子に光が待ってるのか。
一生懸命支えてくれてる人たち、この人たちを悲しませ裏切ってはいけない、色々あり思いながら。
子供が笑った時、何か変化が一瞬でも見えた時思いとどまれました。
その繰り返し。
そしてさっき言った周りを見直してください。
必ず助け舟を出してくれる、くれている人がいます。
その日、その日はとても辛かった。
苦しかった。
痛かった。
私は限界状態の時、家族はもちろんですが
息子が作ってくれた縁。
四ツ葉と夢のたね、大分看護さとうさんとゆうこさん、息子が作ってくれた友人に助けられました。
どんなこともすぐに効果や結果はあるわけではないですが、その人たちがいなければ今、私はここにいれてません。
本当です。
私の勝手な思い込みで人生幕をとじなければと思い込んでいたけど、たくさんの守り方があると導いてくれた人たちに感謝してます。
これからもまだまだ試練があります。
へこみます。
泣きます。
危険ですが何度でも起き上がり頑張ってみたりそうなれる様にしていきたいと思ってます。
私自身誰かの役に立てる様になれたらいいと思ってます。
何かの縁や相互扶助の気持ちを表せたらと思っています。
そんな風に思えるようにしてくれて支えてくれた人にたち感謝です。
そして夢のたねに大事な言葉をもらいました。
私が将来この子を独りぼっちにしてしまう現実しかないと嘆いていたら”違うよ!!関わる人をどんどん増やしていくんだよ!!”と。
私も”あ、そうか!”と思い今もその言葉を現実にしていこうと思っています。
それを他のお母さんにも伝えたいとすごく思っています。
そうして繋がっていってます。
たくましい訪看のさとうさんゆうこさん、支援してくれる人に会うのが楽しみになったのです。
そのために一緒に頑張っていきましょう。
うまくいえないけど、まだまだ伝えてみたいことたくさんありますがいったんこのくらいにしときます。
相談支援
・色んな事業を引っ張ってきてくれた
・私が病院や薬を取りに行けない時まで行ってくれた
・私の代わりに教育委員会に行ったり、学校との話に何度も行ってくれた。
・いろいろな知識、手続き、先回り
訪問看護
・色んな対策の中、”友達”として来てくれた。いまだに”これからも”と言ってくれる。
・子ども本人をわかろうとしたり、身体ケア、挑戦がすごい
保育等訪問を入れると学校のありかたが少し良くなる。
うちの場合は急に学校ががらりと変わった。
高3までこの制度を知らなかった。
現相談員がしてくれた。
行動援護
お兄さん、お姉さんのような立場になってくれたり助かる。
もうだめだ、となる前に,いろいろ試したり、見てもらってみる、ということがとても大事だと思います。