大分市の障害福祉 夢のたね

そがさんのにっき

じょうくん

午前2時30分娘に子供が生まれた。ところがその娘、午前3時にとある大きな病院に救急搬送された、との連絡。
あれって思ったけど、とりあえず病院に駆けつける。
出血が2500、貧血数値が4、血圧がかなり下がっています。今輸血をしています、と医師から告げられる。
体が少しふわりとしたけど、無意識に「特別なこと」を考えないようにしていたのだろう、待合室で待った。
血圧が安定してきたら手術をしますからと言われていて、午前6時頃からの手術が無事終わった。
後からの本人の言葉によれば、救急車の中ではとても寒くて眠そうになったけど、救急士さんから寝たらだめだよってずっと言われていたそうだ。
ああよかった。みんなに助けられたとほっとした。4日後娘も赤ちゃんのいる病院へと転院になって一緒にいる。
子どもの名前は、じょう君。
じょう君のお母さんは命がけで、あなたを産んでくれました。じょう君あなたもみんなの命を心から大切に思える男の子になってください。

大切な言葉

「いい人ほど勝手な人間になれないから、辛くて苦しいのや、人間が動物と違うところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれだけ、自分以外の人が住んでいるかということで決まるのやないやろか」

(灰谷健次郎著 太陽の子より)

繋がる関係

僕は少しでも障害のある方やご家族の力になれればなと思っているんだな、こんな事あらためて言うのは恥ずかしいけどね。

その思いの背景にはね、障害のある人たちが人としてあまりにも差別的、不当に扱われ、さらに特別な負担をかけられていること、障害を持った子どもたちがあまりにも優しくされていないことへの怒りが強いから、が大きいかな。

障害のある人やご家族は、本当に辛い、だれにも話せない孤立感を持っている。

僕らは、少しでも何かの役に立てればと思うから、色々聞かせてもらいたくなる、というか聞くことから始めないと仕事にならないということもある。

でもここで、しかし、なのだ。人間ってとてもひどい仕打ちやとても辛いことに遭えばあうほど、孤立感を持てば持つほど、そのことについて口を開けない、話すことができなくなる。辛いことを口にするのは辛いのである。

僕らの仕事は聞かないと仕事にならない、でも僕は辛くて語れないという自分の中での葛藤の時間というのはとても大事だと思っていて、それは自分で自分の気持ちを整理し少しずつ収める時間だと思うんだ。

あるときそんな辛い思い抱えた母親とお話をしているとき、やはりお母さんはなかなか話ができずもやもや、そこに同席していた同業者が、お母さんの言いたいことってこんなことと、話をまとめようとした。お母さんは救われたように同意して話が少し進んだような感じはした。

でも僕はそのまとめかた、違和感あって違うんではないかなと思った。いやどうなのかは分からない。少しでも支援が進んだ方がいいのは間違いないから。

それでも僕はお母さんがもっと自分で、自分の言葉で話せるようになることを「待つ」ことが大事なんではないかと、やはり思った。決して自己責任を言っているわけではない。

いうなれば「一緒に悩む」という時間をもっと持っていいのではないかということ。

もちろんその辛い時間は、本当に辛いから短い方がいいのかもしれない、もちろんそうだろう、でもそれでもそれは必要な時間だと思うのだ、だからこそ大切なのは一緒に辛さを感じてくれる「人」の存在なのではないか。そして自分の言葉でその辛さを語ることができるようになる。

一緒にその辛さに向き合っていく、その「過程」こそが、当事者にとっても支援者にとっても大事なことなのではないかと。

僕は、そんな「繋がる関係」って大事だなと思っているんだな。