大分市の障害福祉 夢のたね

そがさんのにっき

JR無人化訴訟不当判決について

大分の障害者6人が、JR駅の無人化は、憲法が保障する移動の自由や、障害者への合理的配慮を義務付けた障害者差別解消法に違反すると主張した訴訟の判決は「無人化が障害者差別に当たるとは認められない」と4月23日に原告の訴えを退けました。
報告集会では怒りが渦巻きました。この裁判中に無人駅となった津久見駅で、視覚障害の方が事故で亡くなったのです、駅員さんがいればこんな不幸な事故は起きなかった。しかし裁判官は有人駅に比べて無人駅で障害者の事故が多発しているとはいいがたいと言い放ちました。視覚障害の方のホームからの転落事故が何件起これば危険だと言ってくれるのでしょうか。

「乗車に際して連絡が必要になることや、待ち時間が生じることはやむを得ない」「(JRに)駅員の配置を維持するのは過重な負担を負わせるものと言わざるを得ない」
これらの主張について弁護団の方は「障害者の権利を守る意識に背を向けた」「裁判所は大企業の擁護者になり下がった」と憤りを表しました。
 
5年の地裁での闘いでしたが、地元紙では「障害者の不安消えない」と論説を掲げました。勝利はしませんでしたが、障害者の命と権利を守る闘いはこれからもさらに歩み続けます。
ぜひ全国の障害を持つ仲間のみなさんとともに闘い続けたいと思っています

薬害エイズ和解から30周年

2026年3月26日 薬害エイズ和解から30周年 集会への寄稿
私にはこのような原稿を書く資格もないのですが、なんでこの集会に行きたくなるのかな、なんでみなさんにお会いしたくなるのかなと、考えていた時に依頼されたこともあり、恥ずかしいのですが、少しばかり私の思いを綴ります。
私は今障害のある人たちとともに過ごす仕事をしています。いろいろな問題が次から次へと起こります。
今年1年を振り返っても、お母さまが急逝されたことで支援学校への送迎ができなくなり学校へ相談に行ったら、登校はご家族の責任でとスクールバスへの乗車も拒否された学ぶ権利を奪う学校、放課後等デイサービスで事故があったにもかかわらずすでに10か月謝罪も賠償もなく、事故後4か月で事業所閉鎖をして事故などなかったことにしようと考えているとしか考えられない事業者、きわめつけは障害が重いから「学校への登校を控えてください」という支援学校の校長たち、彼が放課後通っていた放課後等デイサービスの事業者からも「学校へ行けないお子さんはうちでもうけれません」と平気で言う事業者。
 
これはこのまま許しておいてはいけないと、私は仲間たちと抗議の声を上げ、改善を申し入れる。これは個人的な特別の問題ではなく、障害のある人たちみんなの問題であるとともに、すべての人の人権問題だと考え、がんばろうと思いました。
しかし現実は、また何かうるさいことを言っているとみられ、共感はあまり広がらず、改善の展望もすぐには生まれず、なんとなく孤立感が生まれてきて、へこたれそうになるんです。

こんなことがあるからなんです。この集会に行きたくなり、みなさんの顔を見たくなるのは。
みなさんの闘いは必ず正義の旗の下にあると確信しながらも、でも悩みに悩まれながら、誹謗中傷も受けながら、それでもやはり正しい闘いなんだと学びを深め、確信を深め、たとえ共感をしてくれる人が一時的に少なくても、胸を張り、内心は涙しながらも、笑顔で闘い続ける。
ここには、そんな姿があるのです。

遺志を継ぐとはどういうことか、一時的には孤立感を持っても、展望が見えにくくなっても、仲間とともに手をつなぎ、闘い続けることだと思っています。

私が草伏さんから学んだことは、生きることは学ぶこと、学ぶことは闘うことということです。

どこかで生き倒れるまで、みなさんとともに、闘い続けたいと思います。よろしくお願いします。

障害のある方たちの生活を支える仕事をしている中で

障害のある方たちの生活を支える仕事をしている中で、「大変ですね」「がんばってくださいね」等と障害のある方たちへ声をかけていただく方も多くいらしゃいます。
みなさん優しい気持ちからだと思います。優しい地域を造るためにもとてもうれしく感じます。
ただ、人の優しさというのは、人の理性と結んでこそ、みんなに優しくなれると思うのです。
もし人の理性と結んでいないと、「大変だから」「頑張らなくてはならないからかわいそう」となり、前の都知事が言ったように「この人たちに人格はあるのか」となり、「生まれてこないほうがよかったのではないか」となるのではないでしょうか。
障害者に対する社会防衛的な排除の考えもあります。あわせてこのような「生まれてきたらかわいそう」という考えも出てくるのです。
出生前診断にまさにこのような危惧を感じます。ダウン症や難病を持っていても幸せに生きていくことができる社会を作ることこそ大事なことではないかと思います。
二度と優生保護法による断種や避妊手術などの悲劇が起こらないことを願ってやみません。